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街道での危機 ⑤

last update 最終更新日: 2025-05-19 15:01:21
 大雨による土砂崩れなら、それは単なる自然現象だ。人為的に木々を伐採したなどの理由がなければ、それを『荒廃』とは呼ばない。

──何か手がかりはないだろうか。

 風が吹き抜ける中、リノアは視線を崩落した地形へと戻した。

──崩壊は局地的なもの……

 断片的だった情報がリノアの思考の中で、ゆっくりと繋がり始める。

 そのリノアの様子を見つめていたエレナは、リノアが何か重大なことに気付き始めていることを察した。

 考え込むときの、あのリノアの僅かな眉の動き、そして唇を結んで息を止めるようにして視線を遠くへ向ける仕草──

 リノアの視線の先──崩落した地形を見つめるその目には、何かを見極めようとする強い意志が宿っている。

 エレナは崩落した地形をもう一度、見渡した。

 エレナの胸の奥でかすかな違和感が膨らんでいく。

 風化や時間の経過による自然の崩落ではなく、まるで何かがこの場所を狙ったかのような破壊の跡。そして、ここだけが崩れたという異常さ──

 これが偶然であるはずがない。

──何かがこの場に影響を与えたのではないか。

 その可能性に気付いたエレナは迷うことなく動いた。

 足元の不安定な岩を慎重に避けながら、一歩、また一歩と崩落した地形へと向かう。吹き荒れる風が砂塵を巻き上げ、視界を曖昧にする中、エレナは身を低くしながら慎重に進んだ。

 岩の裂け目をなぞるように指先を滑らせ、砕けた破片の中に何か異変がないかを探る。

──この地形の中に、まだ隠された手がかりがあるはずだ。

 エレナは崩落した地面の縁に膝をついて、散らばる鉱石の破片や不自然な亀裂を見つめた。

──これは外部の圧力からきたものではない。

「この崩壊、内部からの何かが原因ね。普通の地盤崩落とは違う。地面の内部で何かが起きたとしか思えない」

 エレナの口調は揺れながらも、どこか確信めいたものがあった。

 リノアがエレナの後を追い、傍らにしゃがみ込んで亀裂を覗き見た。

「あれっ、これって……」

 リノアが亀裂の中にある物体を注視した。

 周囲の岩とは異なり、不自然なほど丸みを帯び、滑らかな光沢を放つ鉱石。

 かつてこの辺りが海だった歴史はなかったはずだ。岩や鉱石が、ここまで丸くなることは有り得ない……。

 リノアは腕を伸ばしかけて、ふと動きを止めた。破片の表面に粘つく光が見えたからだ。

 鉱石から手を引いたリノアは
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